あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて。今年は戦後70年。
70年前~78年前の今頃は何があったか・・・と考えるのが、半ば習慣となっている。
海軍戦闘機隊司令としてソロモン、比島方面で活躍された山本栄
時々、読み返してみるが、これが滅法面白い!!。
詳細をここで披露するわけにはいかないけれど、ちょっとだけご
この日記、戦闘についての詳細な記述はもちろんのこと、なんで
たとえば、指揮官が必ず読んだ進出予定の土地のデータの一覧表
「少シ山ニ入ルト鰐、毒蛇、食人種、野豚等アルモ港付近ナシ」
いまなら人種差別と言われそうだけれど、ソロモン諸島に20世
それと、興趣を覚えたのが、地図や本文中の随所に出てくる、横
当時の航空図など見ても、これらはカタカナ表記になっているこ
とりあえず、順不同だが、並べてみる。
羅春(ラバウル)、乳振点(ニューブリテン)、武加(ブカ)、
個人的には、乳振点、乳愛留蘭童、というのが好きだ(好き嫌い
その他、あちこちに狂歌や川柳が見られ、当時の雰囲気がうかが
元旦や 宿舎の庭に 蝉が鳴き
元旦や 暁破る 弾丸の音
元旦や 敵まで呉れる 落しだま
・・・これは、72年前の正月、昭和18年1月1日、
この日、我が零戦隊はこれを邀撃、一機に有効弾を与えた。
司令部の敵信傍受によると、このB-17は、その後エンジン3
そこで1月3日の日記に書かれている、三和義勇大佐作の狂歌。
落し弾 落したはづみに落されて ヘルプヘルプと泣く暴淫具(
・・・暴淫具、というのがなにやらネイビーらしくていい。
1月9日にはエモ湾の敵輸送船団攻撃があったが、やはり三和大
エモの海 無難とばかり 思ひしに など弾丸などの おちさわ
・・・これは、有名な明治天皇御製、「四方の海 皆はらからと
まだこの頃には多少余裕があったのか、なんだか風流な匂いがす

(昭和18年7月、解隊される五八二空戦闘機隊の集合写真より抜粋。中列右から、司令山本大佐、飛行隊長進藤三郎少佐、分隊長鈴木宇三郎中尉。)
ただ、前半は笑いあり、涙ありの人情時代劇の趣があるこの日記
搭乗員はもちろん、従兵や看護婦まで、世話になった人、一人一