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28.8.15 靖国神社に行ってきました。

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 8月15日。
 大東亜戦争の「終戦記念日」とされる日である。
 
 最後の御前会議で終戦のご聖断が下ったのは8月14日。玉音放送が15日。「自衛のためをのぞく」停戦命令が出たのが8月16日夕刻。支那方面艦隊を除く陸海軍全部隊に戦闘行動を停止する命令が出たのは19日でその刻限が22日午前0時。降伏調印式が9月2日。

 そんな流れがあるから、この日をもって「終戦」、しかも負けたのに「記念日」と呼ぶことに私は引っかかりを感じたままだ。(勝てば「記念日」と呼べるだろうが)


 昭和20年8月15日未明には熊谷がB-29による空襲を受け、260名の市民が犠牲になっている。
 熊谷空襲の直後、8月15日午前には、房総沖の敵機動部隊艦上機による、大規模な空襲もあった。三〇二空、二五二空の戦闘機隊がそれを邀撃している。

 

 戦争終結は決まっても、まだ戦争状態は終わっていない。八月十五日午前五時三十分、房総沖の敵機動部隊から発進した艦上機約二百五十機がダメ押しをするかのように関東上空に来襲した。早朝の東京湾は濃い霧に覆われていた。厚木基地を発進した森岡寛大尉率いる三〇二空の零戦八機、雷電四機、茂原基地を発進した日高盛康少佐率いる二五二空戦闘三〇四飛行隊の零戦十五機がこれを邀撃、三〇二空がグラマンF6F四機、二五二空が英海軍のシーファイア(スピットファイアの艦上機型)一機、TBFアベンジャー攻撃機一機を撃墜した。この空戦で三〇二空は零戦一機、雷電二機を失い、搭乗員三名が戦死、二五二空は零戦七機を失い、五名が戦死している。〉

 ポツダム宣言受諾は、即、停戦を意味しない。8月15日の玉音放送で戦争が終わったと、テレビなどではきれいに片づけたがるが、玉音放送は国民にポツダム宣言受諾を伝えるものではあっても、先に述べたように、陸海軍に対する停戦命令とは別である。


 現に、8月17、18日、関東上空では邀撃戦が行われている。
 しかも、北千島や満ソ国境では、ソ連軍がお構いなしに攻めてきている。

 私の経験では、テレビ局や映画関係の人のほとんどが、「玉音放送と停戦命令は別で、しかもタイムラグがある」ということを承知していないようで、だから、終戦前後の描写に違和感を感じることが多い。


 

 ・・・・・・御託を述べればきりがないけど、この日が「終戦の日」となっている以上、戦没者に追悼を捧げることに異存のあろうはずがない。今日は例年のごとく、靖国神社にお参りに行ってきた。

 終戦70年の昨年よりは静かだったが、右翼の街宣車や左翼のビラ撒き、軍装コスプレ、そしてどこの国のマスコミかわからないような報道をする新聞、テレビ……などには、いつものことながらうんざりした。

 数年前のこの日、一緒にお参りをした歴戦の元零戦搭乗員、原田要中尉、日高盛康少佐、土方敏夫大尉、岩下邦雄大尉、水木泰中尉・・・・・・皆さん、軍装コスプレの集団を見て、
 「ああいうのがいるから、靖国神社が色眼鏡で見られるんだ。我々は戦友に会いにここに来ているのに」
 と、苦い顔をされていたのを思い出す。


 旧帝国海軍でも、巡洋艦以上の大艦にしかつけられなかった菊のご紋を、街宣車ごときにつけて日の丸を汚す右翼も、アベ政治を許さないなどと叫んでビラを配る左翼も、どちらも同じくらい馬鹿だと思う。



 ここに集う人の大半は、心静かにお参りすることを望んでいるはずだし、日本の礎となられた先人たちへの鎮魂と感謝の思いなどそっちのけで、そして戦友やご遺族、当事者の思いを踏みにじってまで、靖国神社が政治的主張の場とされ具とされるのはおかしい。

 


 いっそ右翼も左翼もマスコミも立ち入り禁止にして、ほんとうにお参りする気持ちのある人だけが静謐のなかで戦没者を追悼できるようになればよいのに、といつも思う。

 


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