今日は真珠湾攻撃から74年。
終戦の8月15日は大騒ぎなのに、開戦の12月8日は、各メディアとも殆ど報じないのは何故だろう。
14年前の今日、ハワイで行われた真珠湾攻撃60周年記念式典に、参加搭乗員らと出席した時も、日本から来たジャーナリストは私だけだった。
これはその時の写真。
この作戦に参加した搭乗員は、零戦、九九艦爆、九七艦攻合わせて777名。そのうち終戦まで生き残ったのは約150名。
60周年の平成13年にはそれが30数名になり、この10数年で、殆どが鬼籍に入られた。
写真は、第二次発進部隊制空隊指揮官・進藤三郎大尉(のち少佐、戦後山口マツダ常務取締役)が保管していた、真珠湾作戦の軍機書類。
拙著『祖父たちの零戦』(講談社文庫)の冒頭に出てくる書類です。
進藤さんが亡くなり、ほどなくご長男も病没され、いまは託されて私の手元にあります。