Quantcast
Channel: koudachinaoki
Viewing all articles
Browse latest Browse all 298

「兵士たち」という言葉の誤用について

$
0
0



 このことはこれまでにも何度か取り上げているが、最近、またテレビの人と話す機会があったので、加筆修正して再度。

 その前に…12月2日に放送されたNHK「歴史秘話ヒストリア」、海軍給糧艦「間宮」、着眼点もふくめて面白かった。ただ、ラムネ製造機ぐらいは、大型艦にも装備されていたわけで、「羊羹が作れる」のと「ラムネが作れる」は同等ではない、というのはまあ、いいとして、再現ドラマの士官の第三種軍装の襟章のつけ方が間違っているのは、NHK考証大森さんも、完成版を見せられて気づいたが遅かったとのことで、画竜点睛を欠き、残念だった。

 せっかくの着眼や取材を、決して出来の良くない再現映像で台無しにしてしまうのは、一昨年、私が監修に参加させてもらった「零戦 搭乗員たちが見つめた太平洋戦争」もふくめ、最近のNHKの悪いクセである。一目でわかるミスが多くて、それを現場レベルでチェックできていないということ。
 その点、たまに見るBBCのドキュメンタリーなどは総じて、決して大仕掛けなこともせず、それでいて一目でわかるアラを見せない、うまい作り方をしていると思う。

 とはいえ、民放の、たとえばアイドルタレントをラバウルにまで行かせた終戦70年番組などは、内容も無理くりなら協力者に対するフォローなどもふくめて酷いものだったから、NHKはまだいいほうである。


 さて、そんなわけで。
 最近、出版される本や放送されるテレビ番組などは、ノンフィクションを銘打っていても、取材不足、取材力不足、著者、ディレクターの基本的な無知による妙な記述が幅を利かせている。題名や題字の書体、内容までをパクるだけでなく、取材そのものが怪しいものも多いのだ。

 たとえばある本に、真珠湾雷撃隊搭乗員が、
 「太平洋艦隊旗艦ウエストバージニアに魚雷をぶちこんだ」
 という、誤りだということは誰にでもわかるような記述があったが(太平洋艦隊旗艦はペンシルバニアで、ドックに入っていたから雷撃は受けていない)、相手の年齢も考え、話の裏を取って、明らかな間違いに対しては訂正を加えるのが記者なりノンフィクション作家の務めであろう。

 門司親徳にも会わずに特攻を語り、大西瀧治郎を語るような本や番組なども同様。取材せずに予断で書くのなら、架空戦記小説とそれほど変わらない。
 なかには、大西瀧治郎の、「棺を覆いて定まらず、百年の後に知己を得ず」との、門司副官しか聞いていない有名な言葉を、文脈を無視して引用し、「妄言」と断じて大西批判の具にした馬鹿もいる。


 よくある典型的な「変な」例は、旧軍人を総称するのに「兵士」という、その言葉の使い方。新聞広告の見出しや解説を見るたびにげんなりする。著者も出版社もテレビ局も、よくこの程度の取材と認識で本や番組が出せるな、と驚く。
 ……戦後長い歳月がたって、注意してくれる人もいなくなったのだろうか。


 これは著者であるご子息の責任ではなく出版社が悪いのだろうけど(タイトルは編集権の範疇)、神雷部隊桜花隊分隊長だった林富士夫大尉(NPO法人零戦の会にも、最後までおいでくださっていた)のことを書いた『父は、特攻を命じた兵士だった』(岩波書店)という本のタイトルを見たときはびっくりした。日本語になっていないからだ。
 海軍兵学校出身の海軍大尉である林さんは、「兵士」ではなく「士官」。それも、軍隊指揮権を有するバリバリの正規将校である。そもそも「兵士」は、特攻など命じませんから……。


 これが10数年前なら、戦場で戦った旧軍人を総称する意味合いでうっかり「兵士たち」などと書いたら、
「ここには『兵士』と書いてあるが、下士官兵だけでなく、我々もそうでしたよ」
 などと注意してくれる元士官が必ずいた。つまり、「士官」は「兵士」ではないという、当たり前の事実である。

 登場人物に、正規将校であろうが予備士官であろうが士官がいた場合には、「兵士」ではなく「将兵」という言葉を使わなければならない(少尉でも「将」のはしくれである)。兵だけでなく下士官が入った場合は、下士官兵としないといけない。これもちゃんとした日本語なのだから、出版社やテレビ局が知らなかったでは済まないだろう。

 冒頭に紹介した「歴史秘話ヒストリア」では、文脈に応じてきちんと「将兵」と言っていた。


 現場で戦った将兵をいわゆる軍の上層部と分けてみんな「兵士」と一括りにしてしまうのは、プロレタリアートな階級史観に基づく、左翼的な言葉の用法である。
 だから、岩波書店が「兵士」と言いたがるのはわからないではない。
 しかしこれは、たとえば民間企業の平社員から管理職、取締役までを等しく「平社員」、警察官なら巡査から警視総監までを等しく「巡査」と呼ぶのと同じくらいおかしなことで、明らかな日本語の誤用である。
 たまにちゃんと「将兵」としている文章があっても、「将兵」それ自体が複数形だと知らずに、「将兵たち」と妙ちくりんな言葉を使われることもあるから、気が抜けない。

 
 近頃は唯一、NHKが考証関係者に人を得ていることもあって(「兵士たちの戦争」というBS番組の番組名はさておき)、ドラマの台本やドキュメンタリー番組では不用意に「兵士」を使わず、状況に応じて「将兵」を使う方向になっている。ニュース原稿や地方局制作の番組までは目が届かないから時々ポカはあるけれど、いまもっとも時代考証がきちんと機能しているのはNHKだと思う。


 2011年に放送された「真珠湾からの帰還」は、そういう意味でもなかなか行き届いた内容だった。米軍による日本側捕虜虐待、そしてそれが米軍により裁判記録から抹消されたことなど、戦後日本で、NHKで、正面から取り上げたことはこれまでなかったのではないか。


 いっぽう、旧聞に属するが、映画の「聯合艦隊司令長官山本五十六」は、いろんな意味で残念な作品だった。ある番組の台本で、「ガダルカナル島」の略称である「ガ島」が現場で読めず、「がしま」か「がとう」かで混乱したという話も聞いている(「がとう」に決まっている!という常識はいまの若い制作スタッフには通じない)。
 私もある歴史雑誌の編集者との打ち合わせで、米内光政海軍大臣(海相)のことを「ヨネウチカイショウ」と言われ、一瞬、意味が解らず困惑したことがある。一般の人ならいい。でも、特攻や終戦工作の記事を担当する専門誌の人がヨナイ海相の名前が読めないのは困るでしょう。でも、こういうことはめずらしいことではない。


 「忘れない」ためにはその前提として「知る」ことが欠かせないはずだが、情報を発信する側がこれでは、どうも先が思いやられる。





Viewing all articles
Browse latest Browse all 298

Trending Articles