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七夕に想う~日本初のロケット戦闘機「秋水」2015

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 (写真は三菱重工業株式会社名古屋航空宇宙システム製作所史料館で、復元された秋水を2002年に私が撮影し、航空雑誌「Schneider7」に掲載したもの。奥に零戦五二型が見える)


 七夕の今日は、日本初のロケット戦闘機「秋水」が、昭和20年、横須賀基地で初飛行に失敗してからちょうど70年にあたる。テストパイロットの三一二空分隊長・犬塚豊彦大尉(23歳)は、瀕死の状態で助け出されたが、翌8日午前2時に息をひき取った。

 このテスト飛行、どうして横空審査部ではなくいきなり実戦部隊の分隊長がやることになったのか、戦後も関係者の多くは首をひねっている。不思議と言えば不思議なことだ。

 わがNPO法人「零戦の会」のおもだった元搭乗員のなかでは、横空分隊長・岩下邦雄大尉、同先任搭乗員・大原亮治上飛曹(のち飛曹長)がこの時の一部始終を横須賀基地で目撃されている。


 2003年、文藝春秋の小林昇さん、「零戦の会」高橋事務局長とともに、大原さんのご案内で、横須賀海軍航空史跡めぐりをしたことがある。
 横須賀は、その気で見ると、防空壕が民間の倉庫に使われていたり、当時の建物も多く残っていて、史跡の宝庫だ。
 航空隊の隊門のところに、ずっと隊門を守ってきた先任衛兵伍長が家を立てて住み着き、今もそのご家族が住んでおられるという話には感動を覚えたものだ。

 午後、秋水の墜落地点の川のところに案内していただいた。天気は良好だった。
 「ちょうどあのあたりだ」
 大原さんが指を指される方向を見ながら、その時の状況を詳しくお聞きした。
 そして、大原さんが、
 「犬塚さんには気の毒だけど、あれは(飛行場に戻ろうとしたのは)搭乗員の判断ミス。バタコック、直進(離陸直後バタっとエンジンが止まればすぐに燃料コックを切り換えて、直進する)というのは搭乗員の鉄則です」
 ・・・・・・とおっしゃった途端、一天にわかに掻き曇り、真っ暗になったと思ったら、雷と共に大粒の雨が激しく降ってきたのだ。

 ほんの十数メートル離れたところに止めた車まで戻るのに、四人ともずぶ濡れになってしまった。
 前も見えない、滝のような雨。この日、この豪雨で、横須賀線の電車も止まったそうだ。

 大原さんは車の中で、「こりゃ、犬塚さん怒ったかな」とおっしゃっていたが、まさに「秋水一閃」・・・・・忘れられない夏の思い出となった。





 大原さんの回想――。

 「ちょうど秋水を左後ろから見る位置に陣取った。滑走路の脇には、大勢の人がいた。陸海共同開発だから、陸軍の人も並んでいた。

 いよいよ離陸、というときは、ロケット噴射をするからみんな機体の後ろからよけました。するとノズルから、ホヤホヤホヤっという感じで白煙が出て、間もなく轟音を上げて離陸滑走を始めた。
 滑走路の半分ほどのところで離陸、車輪を落とすと見る間にグゥーンと背中を見せて急上昇、45度ぐらいでしょうか、すごい角度だと思いましたね。見守る関係者がいっせいに拍手するのが見えました。
 ところが、高度4~500メートルに上がったと思われたときに、ババッバッバッという音がしてロケットが停止、秋水はすぐ右に急反転しました。

 急反転してしばらく戻って、それから旋回して飛行場に戻ろうとしたんでしょう。垂直旋回でずっと同じ調子で引っ張ってきたんですよ。貝山の手前、格納庫群の上を飛んだように思います。
 飛行機を低速で、垂直旋回で引っ張りすぎるとステップターンストールといって、失速してストーンとひっくり返っちゃう。
 だから私はそれを見ながら、あ、これはだめだ、だめだ、近すぎると思いました。

 いまで言うダウンウインド、風下のほうへ行くコースね、当時はこれを第三コースと言ったんですが、それがあまりにも滑走路から近かった。スピードのわりにね。
 そして飛行場の端まできたときに、ついに失速してバーンと、横になったまま飛行場の外堀に墜落、ものすごい飛沫が上がりました。

 しかし、飛行場に戻らずにそのまままっすぐ行っていれば助かったでしょう。その先は東京湾で、障害物は何もないんですから。
 事故教訓というのがあって、飛行機を助けて自分が死ぬようなことをしてはいけないと、常々言われているわけですよ。
 バタコックという言葉があって、バタッとエンジンが止まったら燃料コックを切り換えなさい、それから直進。これが常道なんです。

 エンジンが止まって、あんな狭い飛行場に戻ってくるのは通常では考えられません。予期しない事態が起きて、慌ててしまったんでしょうかね。

 犬塚大尉は重傷で救出されましたが、その日の夕方、入湯上陸の整列時に、当直将校が、
 『輸血の急を要する。O型の者は残れ』
 と。私はB型なのでそのまま外出しましたが・・・・・・。
 しかし、陸海軍期待の秋水の事故は、いまも目に焼きついていますよ」


 犬塚大尉のみたま安かれと七夕の星に祈りつつ。



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