昨日(4/22)は、釜本邦茂さんとの再会のあと、竹橋の如水会館で行われた木村伊兵衛写真賞授賞式に行ってきました。年に一度の写真界のお祭りですね。
まずは受賞者の新井卓さんにお祝いを申し上げます。核の問題を、ダゲレオタイプという古典技法で表現したことは率直にすごいと思います。写真のタイプも本人の個性も違いますが、30年前、紛争地や共産圏諸国で報道的ではない自己表現としての作品をものして、高く評価された盟友ヤマグチゲンのことをふと思い出しました。
新井さんは、原発に対する姿勢など、政治的スタンスはおそらく私と正反対の人ですが、それはまあ、さておき。
取材に来ていた旧知の某TV局NewsZEROのスタッフに「何でここにいるんですか?」と聞かれ、いささかビックリしました。
「元々写真家ですから。アサヒカメラで連載もしてましたし」
と言うと
「不勉強で失礼しました、零戦の人だと思ってました」
だって。なんて無礼な。
だいたい、「零戦の人」ってなんや?(笑)
さて、以下は余談ですが。
大勢の参加者は、主催者をのぞくと概ね「写真家」と、メーカーその他の「堅気の人」にはっきり二分される。
どう見ても、「堅気の人」たちの方が、身だしなみも含めてパリッとした格好をしているし、頭も良さそうである。
一方、「写真家」は殆どが垢抜けない格好をしていて、見るからに貧相である。
ここでは、パリッとした「堅気の人」たちが、貧相な「写真家」を「先生」と呼んで持ち上げるという、通常あり得ないであろう不思議な光景が当然のように広がっている。
そんなことを思いながら会場を見渡していて、あることに気づいた。それは、ここに集う錚々たる著名写真家の多くが、かなりユニークな容姿をしていること。着るものの問題じゃない。姿カタチそのものがアレなんですね。
……ああ、そうか、もしかすると、己の容姿に対するコンプレックスこそが、この人たちのエネルギーの源だったのかもしれない。一世を風靡した数々の名作は、そんなままならない自分の容貌との戦い、世界への復讐だったのかもしれない。だとすると、傑作は不細工な顔からしか生まれないのか……。
そこまで考えて、はたと気づいた。
もしそうなら、私が写真家を目指したのは重大な誤りだったのかもしれない。
最初から、私には大きなハンディキャップがあったのだ。そのことに今頃気付くとは、なんという迂闊。オカンよ、どうして息子を不細工な顔に産んでくれなかったのだ。
悔しさに、そっと唇を噛む春の夜、であった。
……なんてね(笑)。
ちなみに、受賞者の新井さんは、式上誰かがスピーチで指摘していたが、なかなかのイケメンでいらっしゃる。例外もあるのは勿論である。