昭和15年9月13日、中国大陸重慶上空で、海軍に制式採用されたばかりの零戦13機(第十二航空隊進藤三郎大尉指揮)が、中華民国空軍のソ連製戦闘機33機と空戦、日本側記録で27機撃墜、空戦による損失0(中国側記録では、被撃墜13機、被弾損傷10機)の一方的勝利を収めた初空戦からちょうど75年の9月13日、靖国神社で、戦後70年の節目となる、戦没搭乗員4330柱の慰霊祭を挙行いたしました。
参加者は、歴戦の搭乗員10数名をふくむ90名弱。
慰霊祭では 私が祭文を読みました。
いつもの講義や講演は、相手が人なので緊張しませんが、今日は相手が神様なので緊張しました。
以下、NPO法人零戦の会慰霊祭で読んだ祭文です。
祭文
謹みて大東亜戦争中に散華されました四千三百三十余柱の海軍戦闘機隊搭乗員諸士の御霊に申し上げます。
皆様方が護国の大任を承けて、東はハワイ真珠湾から西は印度洋まで、北はアリューシャン列島から南はソロモン、ニューギニア、そして豪州まで、広範な戦場に身を挺して史上空前の長期に亘る苛烈な激戦に身命を捧げられましてから概ね七十年もの星霜を数うるに至りました。私どもはここに皆様方の御霊を拝し誠に感慨に堪えないものがございます。ましてや戦陣に斃れられた方の多くは二十歳前後の若桜であったことを思えば、哀惜の念が沸々と湧いてくると同時に、その献身、その勇気に襟を正さざるを得ません。
戦後日本の繁栄と平穏は、皆様方の文字通り命を賭した戦いの上にこそあると、改めて心より感謝と哀悼の念を捧げます。
戦場における生死は紙一重と存じますが、生きて戦いを全うされた皆様方の戦友は、それぞれ文字通りゼロからのスタートで戦後日本の復興に貢献されました。そして、全国の戦友が一同団結して「零戦搭乗員会」を組織し、英霊となった皆様方の顕彰と記録の継承に努めて来られました。
こうして戦後半世紀以上の月日がたち、皆様と同じく零戦の操縦桿を握って戦われた戦友たちも齢八十になんなんとする頃、平成十四年をもって「零戦搭乗員会」は解散することになりました。
ここで新たに、若い世代が事務局運営を担い、搭乗員の皆様をお手伝いして海軍戦闘機隊の灯をともし続けるべく、同じ年に発足したのがわれわれ「零戦の会」でございます。私どもは、海軍戦闘機隊奮戦の記録を後の世代にまで末永く継承すると同時に、戦友の皆様が編隊飛行を全うされますよう、誠心誠意尽くしてゆく決意でございます。
しかしながら、日本の現況を鑑みるに、近隣諸国との領土問題における紛争はなお解決の糸口をも見いだせず、皆様方が身命を賭した先の大戦をあたかも我が国による侵略戦争であったかのように決めつけたがる風潮は依然として根強いものがございます。国内に目を転じても、犯罪の増加、治安の悪化、親が子を殺め子が親を殺めるような、皆様がご在世中には考えられなかったであろう荒んだ世の中になっております。おそらく、皆様が現在の日本をご覧になられれば、「こんな国にするために俺たちは戦ったのか」とがっかりされることでありましょう。このことは、今を生きる日本人として、皆様に対し慙愧に堪えず、心よりお詫び申し上げる次第でございます。
私たちが皆様方のご加護を得て、当時の体験や精神を語り継ぐことで、皆様が身命を賭して守ってくださった美しい日本を再び取り戻すための一助とすべく、今後とも元戦闘機搭乗員と若い世代が相携えて、もって将来の日本のために尽くすことが皆様方に報ゆる道であると存じます。
願わくば皆様方の御霊の永久に安からんことを。
平成二十七年九月十三日
特定非営利活動法人「零戦の会」会長 神立尚紀